Friday, August 15, 2014

インターンシップ

長い長いと思っていた(そりゃ3ヶ月近くもあるのは長い)夏休みも残すところ2週間。
宿題は終わっていない。2つめの修士においてもこの状況…あれ?笑

ずっと書こうと思っていたインターンについて。
もっと早く書ければよかったのだけど、わたしのセクションのメインイベントがインターンのラスト3週間にがっつりあったことと引っ越しを急遽しなければならなくなってしまったために遅れました。

以前も書いたとは思うのだけれど、ABTのDepartment of Education and TrainingのNational Training Curriculum(NTC)というセクションでのインターンでした。メインイベントのTeacher Training、つまりバレエの先生たちを対象とする指導資格取得を目的とした夏の講習会が7月半ばから8月頭まであり、3セクション延べ200人ほどの参加者がいました。しかもこの講習会、ABTのサマー・インテンシブと同時並行なためにビルが人だらけ笑 サマー・インテンシブですでに300人を超える生徒たちが溢れかえるスタジオにさらに講習会の参加者のみなさんが!交通整理もインターンの立派な仕事のひとつでした笑

参加申込のデータ処理、受講料の処理、といった準備期間を経ての講習会。講習会といっても、わたしたちは講義するわけではなく、あくまで事務をはじめ、ちゃんとこのイベントが機能するように運営する側。物販のお金を数えて経理部に報告書を作ったり(こんなところでいつぞやのバイトの経験が活かされる笑)、NTCの新しいプロジェクトに関するアンケート調査のデータをエクセルでまとめたり、NYのあとに行われる講習会開催地(いまはスイスで開講中、そのあとはデトロイト)に教材を送ったり、NYの前に行われた講習会の試験のマル付けという地味な作業もたくさんしました笑 それでもどういうことをして運営されているのかという画がみえたのでいい勉強になりました。

NY夏の講習会は、中級レベルのLevels 4-5, Pre-Professional levelのLevels 6-7 and partnering, ちびっこからポアント履き始めるくらいまでのPre-Primary to Level 3という順番で講習会は行われました。「インターンも受講したいレクチャーとかレッスンあったら受けていいからね!」というお言葉にあまえてレッスンいくつかと、1日あったオフの日にもうすぐ受験するLevels 6-7を受講。いやはや、しかし世界中から受講者がやってくるので面白い。日本人の方も何人かいらっしゃいました。

講習会が始まるとLevels 4-7は4日半ほどの講義を経て5日目後半〜6日目で試験(Levels 4-5は筆記+口述、Levels 6-7は口述のみ)。Pre-Primary to Level 3はカバーする内容が多いので火曜日スタートで土日も込みのまるまる7日間の講義のち、試験。Level 5まではわたしも資格があるので、筆記と口述試験、両方の試験官をさせていただきました。特にPre-Primary to Level 3は、110名の受講者がいたので約25分の口述試験のをするのに試験官も5人体制で一日がかり。補佐が足りない!というので、駆り出されました。

わたしが補佐をしていたのはABTのバレエ学校の校長先生で、NTCの共著者でもあるFranco De Vita。Dance Teacher Magazineから2014年度の功労賞を受賞するようなすごい方。いつもバレエ学校のレッスン見学(これは学校の課題の一部)やたまにNYUのレッスンを教えてくださるのでまったく知らないわけではないし(何を重視しているかとか)、すでに受けたレベルなのでおさらいのような感じではあったけれど、一緒に口述試験にたずさわって「あぁ、なるほど。そこがやっぱり大事なのか」「教師としてこういうのはOKだけど、こういうところはもっと気をつけなければいけないんだな」ということを考えさせられました。Franco自身は受験者を手伝ってあげようと「ほかには?」とか「〇〇の面では?」と質問をするのだけど、彼を恐れて試験中に今にも泣き出しそうな受験者もいっぱい苦笑 でも中には口述試験中のコメントやアドバイスをしっかりと受け止めて、試験中でも学んでいこうとする姿勢がみられる方もいて、はっとさせられました。教えることは、もちろん自分の中でしっかり理解していないとできないことでもあるけれど、それを常に柔軟にupdateして向上させていく姿勢はなによりも重要だな、と改めて思わされる。

NYUの方が試験の採点もだいぶ厳しい(例えば、筆記のフランス語の用語のスペルはアクセントもすべて正確に記入しなければいけない)とはいえ、わたしたちがNYUで1学期間、週3回かけて学んでいくところを1週間で詰め込んで試験というのは大変だなぁ…(^^; 受講者のみなさん、本当にお疲れさまです!
以上がわたしの部署のハイライト。

この夏にABTでインターンをしているインターン生のためのプログラムでは、ABTの理事会の方からのレクチャー、ABTのgeneral manager(CEOではないのだけど、制作に関わる芸術監督とはまた別の立場の人)によるメトロポリタン歌劇場のバックステージツアー、Roundabout Theatre Companyというブロードウェイのカンパニーと米ダンス・マガジンを出版しているDanceMediaのインターン生との交流会という名の観劇やレクチャー、Summer Intensiveの集大成のパフォーマンス観劇、ABTのMetシーズンの観劇などなど盛りだくさん。本当に濃厚。バックステージツアーとはいえ、まさかMetのステージ立てるなんて思っていなかったので、感動。同じperforming artsだけれどブロードウェイということでまた立場の違うRoundaboutや同じダンス界だけれども媒体が違うDanceMediaとの交流は、なかなか立ち入る機会がない世界を見ることができたので本当に感謝。

いやぁ、いろいろやったな笑

わたしはあと2週間もしたらまた同じ場所で、同じ先生方から授業を受けるのだけれど(と考えるとものすごい恵まれてる!)、NTCの講習会で毎日顔を合わせていた受講者のみんなやインターン同期で一緒に働いて、仲良くなった子たちとなかなか会えなくなってしまうのは寂しいな、と思ったり。

そんなわけで大変充実した夏休みを過ごしています。
先週末に新居に引っ越して、なんだかんだバタバタしていますが、NTCの講習会があったときには週1くらいでしか行けていなかったバレエのレッスンを今週からちゃんと復活させて、そろそろ学校の課題にも取り組んで、新学期に備えたいと思います。

最後のセメスターは多分発狂しそうになるくらい大変になるとは思いますが、それくらいじゃ死なないので頑張ります。

Sunday, May 25, 2014

なつやすみー!

だいぶ時間があいてしまいましたが、春学期終わりました!
前回の投稿後は、Faculty Performanceに出演したり、期末課題に追われていました。
12日に学校が終わり、去年一緒の作品に出演したみんなが卒業してしまうので寂しく思ったりしていました。
留学もあと1学期を残すのみ!きゃー!!早すぎる!!!

の前に、3ヶ月の夏休み。
あまりにも長いので一時日本に帰ろうかとも思いましたが、夏のあいだに結構やるべきことがあるし、どうせ年末に本帰国になるので留まることにしました。

そのあいだ何をするかと言えば、ABTでインターンをすることになりました。
いまカンパニーはリンカーン・センターのメトロポリタン歌劇場で1年のなかでも一番大きなシーズンの真っ最中(NYCBもシーズン中なので、わたしも二つのカンパニーの舞台観に行くのに忙しい笑)ですが、それが終われば2013/2014シーズンは終わり。代わりにといってはなんですが、バレエ学校(JKO)の方はサマー・インテンシブなどで大忙しになります。

アメリカは夏休みが長いので、そのあいだに子どもたちを3週間〜1ヶ月くらいのサマー・スクールやサマー・キャンプに参加させたります。ダンスやバレエも同様で、有名なバレエ学校では、冬からサマープログラムのためのオーディションを開催しています。サマープログラムで有望な生徒がいたら次年度(9月)からの入学・編入を許可したり、と学校側にとっても生徒側にとってもいい機会なわけです。ABTも例外なく、高校生までの子どもたちの参加するインテンシブ・プログラム、高卒で大学等の高等教育機関に通うひとびとが参加するcollegiate、それからNYのパフォーミング・アーツの高校への夏休みアウトリーチのプログラムも行っています。

ただ、わたしがインターンをするのは子どもたちが対象のものではなくて、いまNYUで学んでいるカリキュラム(National Training Curriculum)のインテンシブ。10日間ほどの講習会を受けて、NTCの教授資格試験を受験するというプログラム。NYでは年2回、NTCのインテンシブがあるのですが、夏場は先生たちも勉強できる時間だし、なによりも都合さえつくのならばNY来るのは凍てつく冬よりも夏の方がいいですよね?笑 もちろん、すでにスタジオで教えている先生方だけでなく、現役のダンサーやABTのスタジオ・カンパニーの若いダンサーたちも受講していたりします。ダンスを教える身としては、大御所ABTの名前がはいった指導資格が履歴書に載るのは強みになるし。ちなみに、NYUのプログラムは各段階を1セメスターかけて学ぶので、10日間ほどで学ぶインテンシブよりも理解の深みがぐーんと増します。(もちろん学費もぐーんと増します(^^;)

なぜこの部門のインターンに応募したかというと、わたし自身が中身を勉強しているNTCがどのように運営されているかを知るため。NTCは、もともと(ひとまず)アメリカにおけるバレエ教育の変革のために考案されたもの。将来、日本でなにか舞踊教育に関わる活動をしたい、と思ったときに、どのような手段でアプローチするのが効果的なのか、どのように運営すればいいのか、といったことを知るのに参考になるかなと思ったのです。

インターンは6月5日から始まって8月まで続く予定です。NYでインテンシブが開催されているときは毎日いかなくてはいけませんが、それ以外は週3くらいなので、バレエのレッスンに行ったり、来学期執筆予定の修論、それから11月の学会で発表予定のポスター発表の構想を練ったりと建設的に過ごせるかなーと思っています。日本で研究してきたことを、これまでNYUで勉強してきた実践に近いアプローチで捉え直すとどういうふうになるかな、とワクワクとぞくぞくです。

とりあえず1年終わったので、今週末はオレゴンに住む古くからの友だちを訪ね、その次の週末はmy old American homeであるコネチカットにいる友だちを訪ねる予定。どちらもとても楽しみです:) 

そのうちにこの夏の観劇記録でも書きます。

ではでは!

Friday, April 11, 2014

YAGPとバレエの将来について考える。

2014年のYAGPのNYC final, final roundとガラを見てきました。
YAGPとはYouth America Grand Prixの略で、ちょっと前に公開されたドキュメンタリー「ファースト・ポジション」で取り上げられたコンクール。去年「ファースト・ポジション」を観たときに、来年は決戦観に行けるのかなーなんてのんびり思っていたのが実現しました。

今年で15周年のYAGPは、いまではローザンヌと並んで若手ダンサーの登竜門と言えるのではないでしょうか。初回グランプリだった方が最初はTriBeCaにある小さな劇場で行われた決戦がいまやリンカーン・センターで開催されてる!とおっしゃっていたことからもその成長ぶりが伺える。コンクールは、ソロ、パ・ド・ドゥ、グループといった部門があり、それぞれ年齢や性別で分かれています。順位はでますが、あくまでも将来のダンサーを育てることが目的。コンクールと並行して、有名バレエ学校やカンパニーのディレクターによるマスター・クラスやバレエ学校のスカラシップ・オーディションなども開催されます。8-19歳までが参加するので、バレエ学校へのオファーはもちろん、年齢によってはカンパニーとの契約もこのコンクールが提供する機会に含まれています。

アメリカ全土はもちろん、ヨーロッパ、アジアを含め全世界から出場者が集まってきます。決戦前にNYで行われていたNY finalsには300人を超えるダンサーが参加していたそう。ガラで披露された出場者全員によるGrand Defiléは圧巻!!「えーそんなに人乗るの?」とか思ったけど、乗ってた…。すごい。さすがここまで残っただけあって、数回のリハでキメてくる。NYCBのホームのリンカーン・センターのKoch TheatreでYAGPのファイナリストとして踊れることは若いダンサーたちにとって、素晴らしい経験になっただろうな、とジーンとしてしまった。

こうしたコンクールが一国に留まらず国際的になっていくのはいいことだし、本当に教育的意義を考えたら当然と思うのだけど、もともとはアメリカにおける経済格差ならぬ「芸術格差」や芸術―特にダンス、バレエの将来をいかに持続させていくかといった問題への解決策の意味も含まれていたよう(http://www.huffingtonpost.com/phil-chan/steps-toward-diversity_b_4843718.html)。実際に、家庭や自国の経済状況でプロのダンサーを目指すことが困難な才能あふれる若いダンサーたちがこのコンクールを経て、世界中のカンパニーで活躍している。NYで行われるファイナルの旅費もカバーされるという太っ腹ぶり。すごい。

ガラはStars of Today Meet the Stars of Tomorrowというタイトルで、入賞者たちのパフォーマンスとコンクール出身者(同窓生というのかしら)やゲストによるガラ・パフォーマンス。決戦に残った日本人ダンサーたちは上手だなーと脱帽。やっぱり日本人の丁寧さは評価に値すると思う。男子も女子も入賞者がいました。ローザンヌで一位でスカラシップをもらった二山さんがシニアの男子の部で一位!さすが。グランプリは同じくシニアの男子の部から出場していたCesar Corralesは、思わずアツくなってしまうようなパフォーマー。ドンキのバジル、ハマってた!グループの1位だったメキシコの学校の身体能力ものすごかった。人間が壁になってそこを駆けていくのがとても印象的。

Stars of Todayは、わたしの大好きなNYCBのSara Mearns、ABTのMisty Copeland(Ballroom dancersとのコラボ!)やシュツットガルト・バレエのEvan McKie(NYデビュー!)、それからおそらく初めてLucia Lacarraを観て、豪華さにクラクラ。恥ずかしながらガラ観るまで知らなかったのだけど、MOMIXというカンパニーのナンバーもとっても面白かった!スキー・ジャンプの板をはいて(?)、シルバーの全身タイツに身を包まれた2人のダンサーの作品なのだけど、creative curiosityとダンサーの質の高さにドキドキ。とってもカッコ良かった。一流のバレエ・カンパニーで踊るダンサーたちのパフォーマンスや作品を観る機会があるのも若いダンサーたちにとって大事だよなと改めて思った。

んだけど。この点については触れないわけにはいかないので。
日本でもダンスの浸透度はかなり高いと思うのだけど、アメリカも同様。最近は下火になってきているようだけど、アメリカン・アイドルみたいなトーナメント式(というの?)でダンスを競うSo You Think You Can Dance?(SYTYCD)のようなテレビ番組、それからミュージック・ビデオ等でダンスを目にする機会はぐーんと増えています。が、これらで目にするダンスは果たして芸術としてとらえられるのか?テクニックを披露するならサーカスや体操と一緒じゃないか?と思ったりするわけで(というかサーカスや体操でも芸術性が高いものもあるからわたしとしても複雑)。それに加え、さすが競争社会アメリカとでも言うべきなんだけど、アメリカにはCompetition Danceと言って、ジャズやモダンベースのダンスがあり、とても盛ん。competition danceというだけあって、開脚ジャンプやらターンやらがやったら多い。こうした環境にいると、バレエに限らずダンスの芸術性とは?というのが問題になってくる。

YAGPをみていても思った。テクニックが強いダンサーはたくさんいる。今日も10歳の子たちが余裕でトリプル以上のピルエット決めててすごいなと思った。たしかにいまの時代、女性でもピルエット3、4回くらい回れるの普通とか思われてるかもしれないけれど、それをやって作品の流れが切れてしまうならやんない方がいいっていうか、やる意味がないわけで。極端な例だけど、回れるからって「白鳥の湖」の二幕のソロの最後のナナメのところで、音にはまらず回り続けるオデットとか観たくないし。artistryってそういうものじゃない。

参加者の年齢的にも「どこまで脚があがる」「何回ピルエット回れる」「どれだけバランスとれる」というのは分かりやすい指標なのかもしれないけど、それでもダンスは、バレエはそこじゃないだろうって思わずにはいられない。もちろんテクニックだけじゃない、「ホントにそれで14歳なのか…!」と言いたくなるような素晴らしいダンサーも多いのだけど。

なぜこの話をしているかというと、ガラでも入賞者やプロのダンサーたちが踊っているとき(そりゃ確かに世界トップレベルのダンサーだからテクニックもすごいけど)に、「評定会じゃないんだし、そんな技決めるごとに拍手しないでも…」と思わずにはいられなかったから。
会場は関係者であふれている。つまり出場者の家族や友だち、それから出番を終えた出場者たちが、バレエを観るときに「そういうところ」を重視してるということになる。応援の意味もこめての拍手や声援ももちろんあるだろうし、テクニックのレベルがもちろんすごいんだけど。ただわたしが息をのむのが「すごい」じゃなくて「そこまでやらなくていい・心臓に悪い」みたいなニュアンスになるのが少なくなかった。

あと多分普段劇場にバレエを観に行くような機会がない人たちもたくさんいるからだと思うけど、マナーが悪い。YAGPのファイナルとガラなんてもう本当にお祭りみたいだから許せるんだけど、それでも「ああバレエに携わっていても、バレエをどうやって鑑賞・味わえばいいかしら知らないんだなぁ」と。

わたし厳しいのは分かってるのだけど、こういうところがバレエに関わっていて、人間形成に意味あるところだと思ってる。

まぁこういうコンクールである以上、それはそれで仕方ないし、なによりも、YAGP、それからその後のバレエの教育を通して、よりよい方向に成長していってくれればそれでいい、と思っています。それも含めた教育の場であってほしいな、と。参加者はもちろん、先生や家族をはじめとする彼・彼女たちが属するコミュニティー、そういったところにYAGPのような場で発信されるものが少しでも伝播していくのが重要だし、それが開催の根底にあるのってとても大事だと思う。

いろいろ残念だと思ったことを書き綴ったけれど、こうした機会があるというのは本当に素晴らしいことだし、To ensure the future of danceというフレーズがYAGPのロゴとともにスクリーンに写されたときはその心意気に胸が熱くなった。
「お稽古ごと」であっても、プロを目指すのであっても、教育的な側面として大事な部分って一緒だと思う。日本は「お稽古ごと」の精神があるから、他の国と比べたらこうした考えは浸透してるのかもしれない。でも「ただの習いごとだから」とか「バレエは学校教育で使えないから」というような考えに対して、いやいや、意味あるよ、って言えるものを見つけた気がする(というか、本来習いごとやお稽古ごとの意義はそこにある)。バレエ人口が超多い日本において、バレエの教育的側面をしっかり考えて、サポートできる体制がきちんとあったら、たとえ、お稽古ごと・習いごとでも、学校教育じゃなくても、ちゃんと大規模で意味あるものになる、とこの2日間、YAGPの規模のデカさを体験して、思いました。

がんばろ。

Thursday, March 27, 2014

Fulbright Enrichment Seminar at Pittsburgh!

春休みの後半でFulbrightのEnrichment Seminarに行ってきました。

と、その前にかるく、フルブライト奨学金の説明を。

フルブライト奨学金は、フルブライト上院議員のはたらきかけによって、いまから約60年前にアメリカと世界各国の相互理解を目的として発足された留学奨学金制度。約150カ国が参加しているというプログラムで、アメリカからの留学もアメリカへの留学も、アメリカ政府とその国の政府から奨学金が給付されるシステム。

今回のセミナーも68カ国(だったかな?)からの参加者がいました。本当に世界各地から来ているので、母国から遠いところだと「ん、どこだ、それは…」となる参加者も少なくない苦笑 でもそうして「この国の人と出会えるなんて思ってもみなかった!」というような出会いが生まれる。アメリカと自国だけでなく、アメリカに集まった各国のひとびととも出会えるという機会がもうけられているのが素敵なところ。相互理解には、実際にその国の人と会ってみる、その国に行ってみる、というのは月並みに聞こえるかもしれないけど、やっぱりそれしかないとわたしも思います。遊びに行こーと思ったときに、案内して!とお願いできる国がかなり増えました笑 

Enrichment Seminarは1年目のフルブライターたちが参加できるセミナーで、自分の興味のあるトピックの希望をだして選ばれた人たちが参加できる形式。

わたしが参加したのはCivic Engagement: Youth Empowermentというテーマのセミナー。このYouth Empowermentのセミナーは何カ所かで開かれていて、ピッツバーグもそのひとつ。しかし、ピッツバーグってどこ笑 とか思っていましたが、なかなか興味深い街でした。まったく予備知識なしで向かったのですが、ピッツバーグが辿ってきた歴史をしっかりとレクチャーされ、初日のディナーには市長さんまでやってきて、これからどうやってやっていくか、というようなことを話してくれました。

ピッツバーグは採鉱・鉄鋼の街としての繁栄から、鉄鋼業による環境汚染、それからその廃退という転落を経験した街。そしてそこからのカムバックという歴史を持っている。University of PittsburghとCarnegie Mellon Universityの二つの大学の専門分野(医療やサイエンス全般などが主に有名)で、ふたたび若いひとびとが集まってきたりしている。面白いのが、ピッツバーグに住む人たちはこの街をとても気に入って、この街出身じゃない人も住み着いたりするケースが多いということ。いまもまだたくさんの問題を抱えているわけだけど、地元愛にあふれるひとびとがポジティブな力でよりよい街にしていこうとする姿勢がとても印象深かった。
余談ですが、Carnegie Mellon Universityのキャンパスに一瞬入ったのだけど、とっても素敵。バスにいるあいだずっと「ここで勉強したい!!」って言ってました。笑

Youth Empowermentというのは日本語にどう訳せばいいのか分からないのだけど、とりあえず若者がきっかけとなって動けるようにする力をあたえる、ということ。「与える」というと語弊がありそうなのだけど、とにかく、実際にその街で生活をしている人の意見や声を聞く、ということの若者版と捉えてもらえればいいかと思います。

全部書くとあまりにも長いので印象に残ったことを。

パネル・ディスカッションで、Teen Blocという団体で活動している地元の高校生たちが自らの活動を話してくれました。いろんなことをやっているのだけど、高校生の立場から自分たちの権利を守ろう、と主張したり(その権利についての法案を提出したりしてる)、高校生たちが自由に表現できる場を提供したり、と高校生ってこんなことできるんだと驚き。いわゆる生徒会とかも同じような機能だとは思うのだけど、学校を超えての活動だから影響の範囲がより広いし、そこで取り扱う問題もより社会的になるんだと思う。フルブライターたちも「自分が高校生のときにはあんなしっかりしてなかった」と脱帽…笑。

すごいな、と思うのは、生徒たちはもちろんなのだけど、それをサポートしようとするシステム、あるいは大人側があるということ。法案を書くにあたっては、子ども・青少年の権利のエキスパートがサポートにはいったり(もちろん案は高校生から出てるけど、それをどうやって法的に書くかということのサポート)、高校生たちの声を広げるためのプラットフォームとしてメディアを提供したりする団体など、そうやってサポートするシステムがあれば、いわゆる社会的な立場では声が届きにくい子どもたちでもちゃんと声が届く。そして、子ども・青少年の声を届けようとして活動している専門家や大人たちがいるのが目からウロコでした。

もちろん、この地域の高校生、みんながみんなこの団体の生徒たちみたいに本当によくできた子たちではないわけだけど、それでも大事だなと思ったのが、子どもたちに責任を持たせる、ということ。当たり前だけど、子どもだからと言って、あれもこれも「半人前だからできない」と言われるのは面白くない。でも彼らなりの考えや意見があって、特に学校教育の場なんかでは、それを聞くことってとても大事なことなんじゃないだろうか。パネルで言われていた例が、校内の警備員が銃を持ち歩いていることについて。いくら警備員とはいえ、学校の敷地内に銃があるという事実は変わらない。そのことがかえって生徒たちを不安にさせるというのであれば、その体制は本当に望ましいものなのだろうか?この体制をとっている学校はひとつだけではないし、学校を超えてより多くの生徒たちが声を上げれば、それを変えることも可能になる。「状況を自分たちの力で変えることができるんだ」ということを若いうちに体験できるのは、すごいことだと思う。そんなに物事シンプルじゃないとは思うけど、そうやって育ってきた人たちが増えていって、いろいろな問題に面したときに諦めるんじゃなくて、どうしたら改善できるか、と協力し合って(大人になったってそれは1人じゃできないから)取り組める力が大きくなるのは、やっぱりいいことなんじゃないかと思う。

そして、こうした活動をしているのはNPOがほとんどで、そういう団体が少なくないということ。フル・タイムで働いてる人が1人とか多くても数人しかいなくて、あとはパート・タイムやボランティアでやっていたり。よくそれで回るなぁと感心してしまうのだけど、これもアメリカの文化らしい。前学期のperforming arts administrationの授業で読んだ本に「アメリカはNPOで成り立っているといっても過言ではない」というようなことが書いてあって「へぇ」と思ったのだけど、それを実際に見てきたような3日間でした。地元愛が溢れるひとが多いと、より積極的にボランティアなどに関わって自分の住む地域をよくしようと思う人も多いのかしら。ここでも「自分たちの力で状況を変えることができる」というのが鍵になる気がする。
なんとも、アメリカらしい。でも「自分たちの力で状況を変えることができる」ということを知っている、というのは、老若男女関係なく、やっぱり大事なことなんじゃないかと思う。
セミナーの内容とは離れるけれど、フルブライターたちについて。いつだか前にも書いた気がするけれど、フルブライトのすごいところは、奨学金をだしてくれるところだけではなく、というか、それよりも、こうした機会を設けてくれるところ、それからその先々で出会うひとびとにある。
以前からすごいなーと思っていることなのだけれど、本当に世の中のためを思って、行動を起こそうとしている人たちはちゃんといる。もちろんフルブライト外でもそういうひとびとはたくさんいるのだろうけど、わたしはフルブライトで出会ったひとびとを通して、世の中は悪いところじゃないって思い始めている。
わたしは基本的に世の中面白いと思って生きている人間だけど、やっぱりどこか懐疑的なところもあって、なにかの記事を読んだり、テレビで見るだけでは「うさんくさいな」と思ったりすることがかなり多いし、遠い人たちは何をやっていても遠い。でも、そういうことをやっている生身の人間(しかもその信条がにじみ出てくるような人間性の持ち主)たちと話したり、ともに時間を過ごしていると、good minded peopleというものは本当にいるんだ、と希望がわいてくる。その人たちの話を聞いて「そうか、そういう問題があるのか」「そういう側面からもアプローチできるのか!」と知ることもしばしば。知り合う人種も含め、世界が文字通り、ぐーんと広がる。そうして広がる世界を、新たな視点でみることができる経験というのは、素晴らしい財産だな、と。そういう人たちが集まる場にいられる機会があるのは、本当に、本当に恵まれてる。この機会を与えてくださったフルブライトには感謝してもしきれないのではないかな。

わたしもつたないながらも、わたしの大事に思っていることを伝えたりしながら、誰かの世界が広がれば、と思うし、その先々でなんらかのいい影響を与えることができれば、と思っています。

Saturday, March 15, 2014

ダンスをやる意味―Kaleidoscopeの活動をとおして

待ちに待った春休み!
まだ何もやってないような気もするけれど春学期、そしてプログラム自体も折り返し。
でも振り返ってみるとかなりいろいろやったなぁと思う。

論文みたいなタイトルになってしまったけれど、今回は毎週金曜日の朝にあるKaleidoscopeというワークショップ形式の授業のはなし。ワークショップ形式といっても、わたしたちが受けるのではなくて、提供する側。毎週NY市のいろいろな学校の、いろいろな学年の生徒たちを招待して行っています。

Kaleidoscopeにやってくる生徒たちは、African AmericanやLatinoが多い。Kaleidoscopeに参加している学校がすべてそうというわけではないのだけれど、低所得地区の学校が多いと人種も偏るのが事実。わたしも詳細はわからないのだけれど、NY市の公立学校の差は、日本の学校と比べ物にならないんじゃないかと思う。たしかABTのアウト・リーチの話で書いたけれど、まずNY市における貧富の差はものすごい。治安が悪いような地区にある学校は、低所得の家庭の子どもが多い。いろいろな事情で両親と住むことができない子どもたちもいるし、シェルター(家がない人のための自治体が提供している施設)で暮らしている子どももいる。もちろん日本でもそういう子どもがいるのは分かっているけれど、割合が違う。そういう子どもが学校にいても特別じゃないレベルの学校が少なくない。多分今までNYUに来た学校の半分くらいはそういう環境の学校だったんじゃないかと思う。アパートに住んでいても一部屋に家族全員(親戚もはいるレベル)で暮らしていたり、家族がギャングだったり。より高学年になると、特に移民の子どもは、家族のなかで自分が初めて高校を卒業するという生徒もいる。学校の建物内は安全だけど、その周りは危ないというような地区は未だにある。人種、経済状況、社会的地位が多様なNYだからこその問題。

ダンスの授業も毎日ある学校から週1回の学校、さらには専門選択科目としてやっているグループなどさまざまだけれど、基本的にはテクニカルなワークショップはやりません。Kaleidoscopeで行うのは簡単なエクササイズとテーマにそった創作。前もってダンスの先生に生徒たちがどのようなことをやってきたのかを聞いて、それに基づいて授業計画を練る。学年・年齢に関わらず、生徒たちができるだけ自発的に活動できるようにKaleidoscopeのメンバーがサポートにはいる。あくまで生徒主体。当然だけれど、創作活動なので「正解・不正解」もない。

なぜアウト・リーチでなくイン・リーチなのか、というと、自分の住んでる居住地区から抜け出して違う地区に足を伸ばすこと、大学という場に足を踏み入れることが、そうした環境で暮らしている子どもたちにとって大きな意味を持っているから。家や学校の外を歩き回るのが危ない地区なのであれば、どこかへ出かけるようなこともない。家族で高卒すらいないのであれば大学という世界がどういうものなのかもわからない。ダンス以前に、NYUまでやってくる、というだけでも彼・彼女たちにとっては冒険だし、場合によっては恐いことでもある。ただ、わたしたちがsafe spaceとして、踊る空間、そしておどりを自由に創ることのできる空間を提供することができれば、生徒たちに「こういう場もあるのか」「こういうこともできるのか」という気づきや、もしかしたら希望を与えることができるかもしれない。もちろんアウト・リーチでも変化は生まれると思うけど、いつもの「場」から抜け出すというのは本当に大きいことなんだと気づかされる。

今週わたしたちが迎えた小学校2年生たちはスタジオにはいるなり「わーーーー!」と息をのんでいた。わたしたちがいつも「ボロい」「汚い」「スピーカーが壊れてる」とか文句を言っているスタジオも、その子たちにしてみたら天国。「こんなに広い空間初めて!」「鏡がある!」と目を輝かせていた。この子たちは格別に素直で、話もとってもよく聞けるグループだったので余計だけれども、その体験だけでも意味があるんだと実感させられた。

いつもワークショップのおわりに円になって座って、みんなで感想を一言ずつ伝えるセクションがある。「ダンスを創るのがこんなに面白いとは思わなかった」という感想は珍しくないし、そこが一番楽しかったと言う生徒は多い。わたしの印象に残っているのは、中学生の生徒の「『いまのよかったね!』って声をかけてきてくれて嬉しかったし、全体的にそうやって認め合える雰囲気なのがよかった」という感想。

わたしたちは、このワークショップに参加している生徒たちとその時間だけしか共有していないから、普段どういう生活を送っているのかなんてわからない。でも終わったあとに先生から学校や生徒たちの状況を聞くと「本当にそんな生活を送っているのか」と思わざるを得ないこともたびたび。そんな環境で教えている先生方には頭があがらない。それでも、生徒たちにとって特別な場で、思いっきり身体を動かして、グループのみんなであれこれアイディアを出して自分たちのダンスを創るという作業は、はじめはこわくても、やっぱりワクワクする楽しいことなんだな、とか、ちゃんと意味のあることなんだな、と思いはじめている。劇的にlife-changingでなくても、学校や家に帰ってからも「あのワークショップ楽しかったなー」って心に留まるものとなればいいな。ちなみに、「リズムに合わせて身体を動かす」ことが目的のダンスは、意義がとても限られてしまうと思うんだよなぁ。楽しいことは楽しいと思うのだけど、どれだけ「認め合える機会」が生まれる?どれだけ心に残るものになる?

当たり前だけど、Kaleidoscopeのような活動は、ダンサーや振付家を育てるためにやっているのではない。でもダンス(のようなもの)を必要としているひとびとが世の中にはたくさんいる。本人がそれに気づいていない場合も大いにあるということ。それに恵まれて生きてきた人間には理解できない意味を持っているかもしれない。わたしはダンスがすべての解決策とは思わないし、ダンスがきっかけで他のなにかにつながるのであれば、最終地点や解決策がダンスじゃなくてもいいと思う。それでも、本当に、世界で生きていく上で必要な「なにか」や「そのきっかけとなるもの」を提供できる力や可能性をダンスは持っている。気づいてないひとも多いのだったら、きちんと触れることのできる場は多い方がいいんじゃないの?と思うわけです。

人間それぞれ得意不得意なことはあるし、みんながみんな自分の能力を活かせる場で活躍できるとも限らない。みんながエリートでばりばり働いて稼ぐわけでもないし、芸術家として成功するわけでも、オリンピック選手になるわけでも、世紀の大発見をするわけでもない。そういうのはそういう人に任せとけばいいわけだし、みんながそんなんでも困る笑 そりゃ生活していくのに、国語・算数・社会・理科もお金もそれなりに必要だけど、本当に「生きていく」にはダンスを始め芸術系のものが持っているようなものが必要なんじゃないかと思う。別に芸術系だけが持っているものでもないから、人によってはそれがスポーツだったりするんだろうけど、ダンスがそれを持っているのをわたしは分かっている。別に「万人が生きていることの意味についての考えを持つべきだ」というわけでもないけど、まぁ生きてたらそういうものにぶち当たるのではないか、と知的好奇心で生きているわたしは思うわけで。そういう疑問だったり、深刻な問題にぶちあたったときに路頭に迷うんじゃなくて、自分でも何かできるという希望や自信と考えられる力があればいいな、というだけの話。

いままで書いてきたいろんな要素のまとめみたいな気もするけど、ずーっとおどってきた人間がいう綺麗事なんかではなくて、「なるほどそういう意味もあるのか」という程度でもいいから、少しでも多くの人に届けばいいなと思っている。

Sunday, February 9, 2014

Spring Semester 2014

2学期目、春学期が始まって早2週間。
こんなに忙しくなるはずじゃなかった!と思いつつ、また秋学期とは違う刺激で勉強になる。

今学期は、秋に引き続きABTの専攻の授業、Research in Danceという来学期やる研究・論文執筆に向けての研究方法入門の必修授業、あと選択のDance in Higher Educationとタップを取っています。それとは別に、単位にはカウントされないKaleidoscopeというアウト・リーチならぬイン・リーチの活動をする授業、誰も未だに理解できない必修のProgram Meetingという授業(苦笑)と来学期のMasters’ Concertの振付希望者のためのワークショップも履修しています。

大学院入ってからの方が毎日学校行ってる気がするのだけれど…しかも金曜日は朝10時スタートのKaleidoscopeに始まり、Program Meetingとタップで夕方6時まで途中30分休憩2回挟むだけのつめつめ。

ABTは、今学期もNTCについて学ぶのですが、それとは別にブルノンヴィル(デンマーク)とチェケッティ(イタリア)のスタイル・メソッドも学ぶことになっています。この一週間はブルノンヴィルのエクササイズをビデオと文献で解読して、クラスで教えるということをしていました。ブルノンヴィルのスタイルは、普段慣れているものとは、動きの組み合わさり方、音の取り方、floor patternというのかpathwayなどがだいぶ違うので解読するのも、デモンストレーションするのも一苦労!でもやらなきゃわかんないよなぁと実感。来週はチェケッティ。NTCはチェケッティ・ベースなので、これを学んだらまた理解が深まるかな、と期待。

どうかなーと思いつつ取ったDance in Higher Educationが面白い。ここ2週間はアメリカの高等教育(大学)においてどのようにして舞踊が学問として発展してきたか、という歴史を辿っている。こうして文献を読んでいくと舞踊教育のなかでも自分の興味があるところとないところの差もわかるし、なにを大事に考えているかということがわかる。「こういう道を辿ってきたのか」と知るのと同時に自分のアイデンティティや舞踊教育に関する想いや考えの振り返りみたいなものもあって面白い。これについてはまた近々まとめてブログに載せたいと思っています。これが終わると、高等教育で働くとはどういうことか、ということ、どうやってapplyするかといったことまでやっていきます。

Kaleidoscopeは秋学期からやっているのですが、今学期から本題!おそらく秋学期のはじめにも説明しましたが、この授業はカンパニーとして機能する特殊な授業。毎週金曜日の朝、K-12(幼稚園から高3まで)の年齢層の生徒たちをNYUに招いてダンスのワークショップを行うイン・リーチのアクティビティ。受講しているメンバーが2人組になってレッスンプランを立てて、他のみんなもサポートしながら、ワークショップをやっていきます。わたしの担当は3月半ばまでないのですが、すでに小2と中2のグループがきて、面白い。ABTでのレッスン見学でなんとなーく異なる年齢層がどういう感じか、というのは掴めてはいたのだけれど、バレエ学校(スタジオ)に通っている子と普通の学校の子ではまた全然違うし、見学しているのと教えるのも別物!小2と中2という年齢差、発達の段階の差というのも見えて面白い。とまどうことも多いのだけど、たくさん知ることができるのではないかなと思っています。

4月には教員たちが振付をするFaculty Concertがあって、NYU-ABTの卒業生で現在Dance Educationのプログラムのアシスタントをしてる方のバレエの作品に出演します。ガーシュインの曲にあわせて、Balanchineを意識した作品でとっても素敵!しばらくバレエの作品には触れてなかったので嬉しいし、「あぁやっぱりホームなんだな」と思っています。

これに加えて空き時間にできるだけJKOでのレッスン見学をやって今学期中に40時間こなさなければならない。レッスンと授業の時間合うところを見つけるのが一苦労。まだ課題がそんなにない状態でこれだから課題ある時期はツラそう…でも今期はpre-professionalレベルのクラスをメインに見学していくので、見学しているうちにファンになってしまうような才能あふれる若いダンサーもたくさんです。

授業とは別にレッスン(バレエもタップも!)受けに行きたいのにー!とは思っていますが、なかなか。でももう2月だし、2月は短いし、NYの春はまだまだ先だけど、冬はもうすぐ終わる(ハズ)!!!と考えたら、よし頑張ろう!と思えます。学期始まったとたん、今学期すぐ終わりそうと思ってしまうほどですが、たくさん学んで、考えて(さっそくいろいろ考えることがありdance educatorになるには一体どれだけ広い範囲のことを知ってなくちゃいけないんだろうと再び思っている)、雪と寒さに負けず、フットワークを軽くやっていきたいと思っています:) 

Monday, January 20, 2014

2013年年末に考えたことのまとめー「教育」とは。「教える」とは。

冬休み真っ最中。ありえない寒さにたびたび襲われるNYCですが、たまに鼻風邪をひいたりしつつ、元気にやってます。
いまさらだけど、無事にこちらにきて一学期も終わり、成績も無事オールAだったので安心。ふふ。
年末は両親や友人がNYに遊びにきていたのでもっぱらツアーガイドをやってました。 大好きな街に大事な人たちが遊びにくるというのはなんとも嬉しい。
来週からいよいよ春学期がスタートしますが、その前に。
学期末から冬休み中にかけて、「教育とは?」や「教えるとは?」ということを自分でまとめたり、友人と話したりするなかで気づいたことを改めて振り返ることにしました。芸術や舞踊教育については、まだしっかり考えることができてないので、とりあえずわたしの根本的な教育への見解を。


秋学期、いろいろな教育者の理論を読む授業があったのだけど、なかなか素晴らしいeducatorsに出会うことができた。
10月末のNDEOの学会で、わたしがもやもやと疑問に感じた「一体なんのための舞踊教育なのか」ということを考える上でもいい材料がたくさんあった。授業でとりあつかった文献や期末のグループ・プレゼンテーションを聞いたりするなか、教育のおそらく最も重要な、幹の部分は「人間、この世界にあって、どうあるべきか」ということなんだという考えに辿り着いた。そしてそこが教育の最高に面白いところなんだと思う。

当たり前なんだけど、その「瞬間」を、その「場」、つまり「いま・ここ」で生きていかなきゃいけないから「いま・ここ」が存在する「世界」を考慮せずに、人間がどうやって生きていくかについてを語ることはできない。どれだけ世界と関わってるかを自覚しながら生きてる人がいるかは疑問なところもあるけれど、まぁ、とりあえずしっかり生きていくためには世界と自分の関係、世界のなかの自分の立場とかといったものがわかってないといけない、ということ。どうしたって世界と関係のなく生きていく人間は誰ひとりとしていないわけだから、教育が「人間、この世界にあって、どうあるべきか」を追求するものなのだとしたら、教育に関係ない人はいない、ということになる。


なんでこんなことを考えていたかというと、まずはもともと教育にまったく興味のなかったわたしが「案外面白いものがみえるかもしれない」と思って始めた根拠をさぐる必要があったということ、それから、わたしが「なんのための舞踊教育なのか」ということを聞かれたときに自信を持って答えられる根拠がわかっていなかったから。でもこうして、上の「この世界で人間がどう生きていくべきか」ということに直接的に関わってくるのが教育、という前提があれば、まず「教育に関係のない人はいない」ということで、弱気のわたし(笑)も、これでいいんだ、という自信がもてる。興味のなかったわたしも「それなら面白い」って思える理由でもある。

つまり、この根拠がベースにあるのだったら、芸術がいちばん包括的にこれを実現できる、というわたし個人の考え・信念をしっかりサポートできる、と考えた。

「結局のところ人それぞれだよね」という姿勢がわたしにはまだあるから「まあ合わない人がいても仕方ないね」とは思うんだけど、芸術にふれて世界が広がっていくひとをみていると、そういう問題でもないんじゃないか、という気がしてくる。

マーガレット・ドゥブラー(Margaret H'Doubler)というアメリカの舞踊教育の第一人者がいた。彼女は「必修科目としてダンスをとりいれるということは、ダンスがどうやって「自分」という人間に影響を与えるかを体験する機会をみんなに等しくつくること」ということを言っていた。わたしがこの一節が好きなのは、まず「ダンスが人に影響を与える」という事実を(あるいは、それを事実として)さらっと提示していること。それから「体験する機会」という言葉。「体験したら重要性わかるでしょ」ということでもあるとは思うのだけど、「最終的な判断はその人に」という余地が残されているこのフレーズがいいなって、ああそういうアプローチで考えればいいのか、と少し安心した。

相当なポジティブ人間みたいに聞こえるんだけど、教育って究極的にいうと「世界は面白いところで生きててよかった」って思えるベースになるものをつくる手段なんだと思う。学校教育だけじゃなくて、家の中の教育も含まれるし、当然ながらバレエ・スタジオもこのなかに入る。きっかけはなんでもいいんだけど、根底としてはこれなんだろうと思っている。

さて。
教育に興味がなかったわたしは、もちろん「教える」ということに関してもあまり興味がわかない。なにかと教育関係のバイトについていたことが多いのにも関わらずそれってどうなのと自分でも思ってしまう。苦ではないのだけど、楽しい!とか好き!というわけでもない。
っていうか「教える」ってなに。どういうこと? 

先日NYUで同じ専攻の友人とご飯を食べていたとき「教える」ことについて少し話した。
彼女は「教えるの楽しいじゃん!」とも言っていたし、いままで出会ってきた先生たちが本当にいい先生たちだったらしくその人たちみたいになりたい、と思ったりもしたらしい。ふむ。「楽しい」というのはあまりわからないんだけど、いい先生たちにならわたしもたくさん出会ってきたし、ああなりたいって思うこともあった。「ああなりたい」というのは「先生になりたい」ということではなく、おそらく「わたしもああいうふうに誰かを影響するような素敵な人になりたい」ということなのではないかと思う。

修論に書いたこととつながってくる(というかそれ以前に当たり前のことなんだ)けれども、だれかを教育するということは、その人を地点Aから地点Bまで連れて行く、見せる、とかそういうこと、つまりその人を変えることになるのではないか。それってつまりは、教育する=だれかを影響すること、と言い換えることができるのではないか。

だれかを影響することなら、なんとなく魅力が分かるかもしれない!
その人をまだ見ぬ(素晴らしい)世界に連れて行くことができるのだとしたら、わたしはそれをやりたいって思うし、そのヒントをあたえたり、誘導したりするのは楽しいし、好きだということに気がついた。多分わたしが知的好奇心のある人間だから、知的好奇心あふれる人間中心的思考でいくとそれはfor the good of peopleになる。おせっかいでもあるんだけど笑
もっと次元の低いところだと、「もっとこうしたら上手く踊れるんじゃないか」というテクニカルな面で気づくことがあったらそこも結構口出しする。見て見ぬ振りはできない、というか、ほっとけない、ということなんだろう。そもそも人をみるのは好きというか面白いから、その上で自分がその人のなにをbring outできるか、ということも楽しい。

なんだか彫刻というか陶芸とかと似ているなと思う。こんなふうに言うとわたしにすべて主導権があるみたいに捉えられるかもしれないけど、そうじゃない。そもそもその人をみていなければ分からないし、はたらきかけたところでどういう変化が起きるのかはわからない。彫刻家や陶芸家だって素材と対話をしてるんだから一方的にやってるわけじゃない(それじゃできないと思う)。その変化が起きたうえでまた次の手を考えるから、また観察・対話に戻る。そう、つまり「教える」というのは「はたらきかけ」なんだ、ということに気がついた。

「はたらきかけ」の関係性というのは、「他」と「自分」という項がないと成り立たない。他が土であれ、人であれ変わらないと思っている。はたらきかけたらフィードバックがある。それが「教える」ことの本質というか構造であり、先ほどでてきた「世界とわたし(つまり人間)」の構造でもある。気づくこともたくさんある。つまり「教える」ということはある意味では「世界と関わる自分」縮小・ミクロ版みたいなものなのではないか。

どうやらわたしは「教える」ということをものすごい狭義的な行為としてとらえていた、ということに気づいた。(Thanks to my friend!)
秋学期の授業で読んだブラジルの教育哲学者パウロ・フレイルPaulo Freireがteaching is learningとか言っていたのを読んでいたのに「そうだよね」くらいで理解したつもりだったのか。もっと壮大というか生きることの本質に関わってくるようなものなんじゃないのか、この「教える」という行為は。不可逆なところが恐ろしいのではなく、面白いのだと思う。 


そして「教育」の魅力のひとつは、一生かけてやっていける、というか一生かけても終わらないというunfinishednessにある。このunfinishednessというのもフレイルの著書(Pedagogy of Freedom)にあったフレーズ。世界と自分の関わりは当たり前だけど死ぬまで続く。自分も変わるし、世界も変わるから、関係性はいつまで経っても変化し続ける。「教える」という行為もこれに然り。
わたしの場合、その手段が芸術であり、ダンスであり、バレエ、となる。っていうか、根本的には芸術がやってることと、わたしがここで言っている「教育」はなんら変わらないと思ってる。

それでもって「教育」の素敵なところは、理論だけじゃなくて実践をふまえないと完全にならないところ。そもそも「教育」が「はたらきかけ」につながるのであれば、実践がなければならないのは当然のこと。そしてわたしはこうして勉強していくなかで「はたらきかけ」られて、変化して、世界と自分の関係についても考え直したりしている―つまりわたしがした「教育」の定義を地でいってることになる。

生きていくというのは究極的にはそういうことであって、わたしは生きていくことがどういうことなのかを見つめることを専門にした、ということになる。それが許されたのだとしたら、それを背負う責任もでてくるわけだけど、責任というよりはミッションとしてやっていく、というか「当たり前じゃん、やんないでどうするの」と実感しているところです。

なんて贅沢な人生!

この機会とめぐりあわせを可能にしてくれたすべてに感謝して、2014年もたくさん踊って学んでいきたいと思ってます。